大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和52年(行ツ)128号 判決

上告人

大昭和製紙株式会社

右代表者

齋藤了英

右訴訟代理人

満園勝美

満園武尚

上告人

大興製紙株式会社

右代表者

佐野治郎

右訴訟代理人

河野富一

河野光男

上告人

興亜工業株式会社

右代表者

斉藤盛慶

右訴訟代理人

井口賢明

上告人

本州製紙株式会社

右代表者

栖原亮

右訴訟代理人

下飯坂常世

海老原元彦

廣田寿徳

竹内洋

馬瀬隆之

被上告人

甲田寿彦

外一三名

右一四名訴訟代理人

大蔵敏彦

渡辺正臣

森下文雄

小林達美

西山正雄

杉本銀蔵

外一五名

被上告人

渡邉義久

被上告人

山崎朝男

主文

原判決中被上告人渡邉義久の請求に関する部分及び同被上告人を除くその余の被上告人らの請求に関する上告人ら敗訴部分を破棄する。

被上告人渡邉義久を除くその余の被上告人らの請求に関する部分につき、本件を東京高等裁判所に差し戻す。

本件訴訟のうち被上告人渡邉義久の請求に関する部分は、昭和五一年八月二四日同被上告人の死亡により終了した。

理由

上告人大昭和製紙株式会社代理人荻野定一郎名義、同満園勝美、同満園武尚の上告理由第一ないし第三点、上告人大興製紙株式会社代理人河野富一、同河野光男の上告理由第一点、上告人興亜工業株式会社代理人井口賢明の上告理由第一点、上告人本州製紙株式会社代理人山根篤名義、同下飯坂常世、同海老原元彦、同廣田寿徳、同竹内洋、同馬瀬隆之の上告理由第一点について

論旨は、要するに、住民訴訟においては、訴訟の対象となるべき具体的事項につき地方自治法(以下「法」という。)二四二条の住民監査請求を経由した旨の主張をしなければならないのであつて、これを本件についていえば、被上告人らの本件監査請求の要旨3(3)に記載された内容の住民監査請求を経由したという主張だけでは足りず、本件監査請求は、静岡県知事が上告会社四社に対してヘドロ浚渫に関する不法行為による損害賠償請求権を行使しなかつたことが違法に財産の管理を怠る事実に該ることの請求を含む旨の主張をしなければ、静岡県に代位して上告会社四社に損害賠償の請求をすることはできない、というのである。

しかしながら、法二四二条一項は、同項にいう当該行為又は怠る事実によつて普通地方公共団体(以下「地方公共団体」という。)の被つた損害を補填するために必要な措置を講ずべきことにつき住民監査請求をすることができる旨規定するにとどまるのであつて、同規定を解釈して、住民監査請求においては、所論のように、より具体的に損害賠償請求の不行使が怠る事実に当たるとまで主張しなければならないと解することはできない。記録によれば、本件監査請求における請求の要旨3(3)には、「大昭和製紙株式会社等の大製紙企業に浚渫費用を負担せしめること」という記載があり、これと同(1)に記載されている「竹山祐太郎が違法不当に支出した昭和四四年度の田子の浦港の浚渫費一億五〇〇〇万円」とあるのとをあわせ考えると、右請求の要旨3(3)には、静岡県が昭和四四年度に支出したヘドロ浚渫費一億五〇〇〇万円について、これを原因者に何らかの形で負担させるべきであるという主張が含まれているものと解するのを相当とし、その限りにおいて、右監査請求の趣旨は明確であり、法二四二条の二所定の住民訴訟の前提としての法二四二条所定の住民監査請求の要件を充足しているものと見るべきである。右と同旨の原判決は正当であり、論旨は理由がない。

上告人大昭和製紙株式会社代理人荻野定一郎名義、同満園勝美、同満園武尚の上告理由第六ないし第八、第一〇、第一五点、上告人大興製紙株式会社代理人河野富一、同河野光男の上告理由第二、第四、第五点、上告人興亜工業株式会社代理人井口賢明の上告理由第二、第三、第五点、上告人本州製紙株式会社代理人山根篤名義、同下飯坂常世、同海老原元彦、同廣田寿徳、同竹内洋、同馬瀬隆之の上告理由第三、第四、第六点について

論旨は、要するに、本件ヘドロ浚渫費は静岡県の被つた損害に当たらず、したがつてこれを上告会社四社に負担させなかつたことは、違法に怠る事実とならない、というのである。

ところで、法二四二条の二第一項四号の規定に基づくいわゆる代位請求に係る住民訴訟は、法二四二条一項所定の地方公共団体の執行機関又は職員による同項所定の一定の財務会計上の違法な行為又は怠る事実によつて地方公共団体が被つた損害の回復又は被るおそれのある損害の予防を目的とするものであり、地方公共団体が、右目的のため、当該職員又は当該違法な行為若しくは怠る事実に係る相手方に対し、法二四二条の二第一項四号に掲げられた請求権を実体法上有するにもかかわらず、これを積極的に行使しようとしない場合に、住民が地方公共団体に代位し右請求権に基づいて提起するものである(最高裁昭和四六年(行ツ)第九〇号同五〇年五月二七日第三小法廷判決・裁判集民事一一五号一五頁、同昭和五二年(行ツ)第八四号同五三年六月二三日第三小法廷判決・裁判集民事一二四号一四五頁参照。)。

これを本件のような損害賠償請求の場合についてみると、地方公共団体の有する損害賠償請求権は、法二三七条一項及び二四〇条一項にいう地方公共団体の財産ないし債権に当たるものとみるべきであるが、右請求権の不行使につき必要な措置を講ずべきことを法二四二条の二所定の住民訴訟の方式により求めることができるのは、当該地方公共団体が右請求権の行使を違法に怠る事実により当該地方公共団体の被つた損害を補填することを目的とする場合に限られるものと解すべきである。

ところで、一般に、河川港湾等いわゆる自然公物に対する汚水の排出は、社会通念上一定の限度までは許容されているものと解され、右限度を超えない汚水排出の結果生じた汚染ないしヘドロ堆積等は、当該自然公物の管理権者である地方公共団体の行政作用により処理されるべきものである。また、右汚水の排出が社会通念上右一定の限度を超えた結果汚染ないしヘドロ堆積等が生じた場合であつても、そのような状態に至つた原因の中に行政上の対策の不備等があつて、汚水排出者にすべての責任を負わせることが必ずしも適当でない場合もありうるのであるから、右汚染ないしヘドロ堆積等の除去又は予防のために講ずべき浚渫作業又は施設の設置・改善等の措置、そのために支出すべき費用及びその分担についてはなお公物管理権者の合理的かつ合目的的な行政裁量に委ねられている部分があるものというべく、したがつて、汚染ないしヘドロ堆積等の除去に要する費用の支出中に、本来的には当該地方公共団体の負担すべきものとされない部分がある場合であつても、公物管理権者において、行政上の見地から、諸般の具体的事情を検討し、行政裁量により特別の支出措置を講ずることが許されることもあると解するのが相当である。

このように見てくると、汚染ないしヘドロ堆積等の除去に要する費用の支出についても、(一) 当該地方公共団体が行政上当然に支出すべき部分、(二) 当該地方公共団体がその行政裁量により特別の支出措置を講ずるのを相当とする部分、(三) 汚水排出者の不法行為等による損害の填補に該当し終局的には当該汚水排出者に負担させるのを相当とする部分、に区分して考えなければならない。そして、住民が当該地方公共団体に代位して汚水排出者に対し損害賠償請求権を行使しうるのは、右(三)の部分に限られるものというべきである。これを、本件についてみると、法二四二条の二第一項四号の規定に基づく被上告人らの損害賠償請求の裁判においては、本件ヘドロ浚渫費のうち右(三)の部分の有無及びその金額について認定判断をしなければならないのであつて、ヘドロ浚渫費支出の原因に汚水排出者の不法行為が存するという一事のみで、右浚渫費の全額を、当然に、被上告人が静岡県に代位して汚水排出者に請求することのできる金額と認めることはできないものといわなければならない。右の次第であるから、原審が、工場廃水による本件河川の汚染が極めて著しく、そのため田子の浦港に堆積したヘドロの浚渫を余儀なくされた静岡県が、港湾管理者として上告会社四社ほか工場廃水を違法に排出した者に対し損害賠償請求権を有するにかかわらずこれを行使しないのは違法である、とのみ判示して、たやすく、昭和四四年度のヘドロ浚渫費一億二一八〇万三〇〇〇円の全部を共同不法行為による損害と認めたことは、たとえ本訴における認容額がそのうち一〇〇〇万円の限度にとどまるとしても、法二四二条及び二四二条の二の解釈適用を誤り、ひいて理由不備の違法をおかしたものといわざるをえない。論旨は理由があり、原判決中上告会社四社敗訴部分は、その余の論旨に判断を加えるまでもなく破棄を免れず、更に審理を尽くさせるため、右部分を東京高等裁判所に差し戻すこととする。

職権をもつて調査するに、記録によれば、被上告人渡邉義久は昭和五一年八月二四日死亡していることが明らかである。地方自治法二四二条の二に規定する住民訴訟は、原告が死亡した場合においては、その訴訟を承継するに由なく、当然に終了するものと解すべきであるから、本件訴訟中同被上告人の請求に関する部分は、その死亡により当然に終了しており、原判決は破棄を免れない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(伊藤正己 横井大三 寺田治郎)

上告人大昭和製紙株式会社代理人荻野定一郎、同満園勝美、同満園武尚の上告理由

第一点 原判決には地方自治法第二四二条の二の解釈を誤つた違法及び理由不備の違法がある。

一、被上告人らが別紙住民監査請求目録記載の住民監査請求(以下本件監査請求という)をしたところ、静岡県監査委員は被上告人らの措置要求は理由がないとしたことは確定された事実である。従つて、本件監査請求がなされなかつたとする主張及び本件監査請求の内容が第一審判決摘示のものと異なるものであるという主張及び判断は許されない。しかして、住民訴訟は住民監査請求を経由することを要件としている。しかも、住民監査請求の対象とされた違法な行為もしくは違法な不作為に関する四類型の訴訟に限られている。(地方自治法第二四二条の二)従つて、住民監査請求の対象とされなかつた違法な行為もしくは違法な不作為を住民訴訟で取上げることは不適法になる。

二、本件住民監査請求は普通地方公共団体の長もしくは機関の当該団体の財務会計に関する次の四種類の行為(当該行為がなされることが相当の確実さをもつて予測される場合を含む)と怠る事実があると認められるとき、行為を防止し、是正し、怠る事実を改め、又は当該行為もしくは怠つた事実によつて当該団体の蒙つた損害補填のために必要な措置を講ずべきことの勧告を求めることである。

(1) 違法もしくは不当の公金支払

(2) 違法もしくは不当の財産の取得、管理、処分

(3) 違法もしくは不当の契約の締結もしくは履行

(4) 違法もしくは不当に公金の賦課もしくは徴収もしくは財産の管理を怠る事実

三、本件監査請求(4)はヘドロの浚渫方法に関するものであり、同(5)は浚渫したヘドロの廃棄方法に関するものであつて、いづれも静岡県の財務会計とは関係のない事項であるから住民監査請求としては無意味である。

本件監査請求(1)は、静岡県の長である竹山祐太郎が昭和四四年度に田子の浦港の浚渫のため公金一億五〇〇〇万円を違法に支出したとして、これを静岡県に返還させることの措置を求めたもので、静岡県の財務会計に関する公金支払を対象とするもので適法である。

次いで、本件監査請求(2)は汚泥処理プラントの違法、不当な管理があると認めて、今後の公金の差止、又は静岡県の財産である汚泥処理プラントの管理の是正を求めることであるから、適法な住民監査請求である。

本件監査請求(3)は上告人らに田子の浦港の浚渫費を「負担させること」である。負担させることという住民監査請求が負担金を上告人に賦課することを求め、又は賦課した負担金が未徴収になつているからこれを取立てることを求めるものか、浚渫費とは昭和四四年度に既に静岡県が支出したものを意味するか、又は昭和四五年度もしくは今後発生する浚渫費のことか、さらに、上告人らに浚渫費を負担させないことは、静岡県の長である竹山祐太郎が静岡県が上告人に対して有しているヘドロ浚渫に関する不法行為に基づく損害賠償請求権の行使を違法に怠る事実に該当するからこれの是正を求める住民監査請求であるか、明らかでない。

このように、内容自体が不明確で、請求事項を特定できないような住民監査請求は監査請求としては効力がないものである。そのように解さないと、住民訴訟進行中に前置手続たる住民監査請求の内容が流動することになり、訴訟手続が確定できなくなるからである。

四、原審は「本件監査請求(3)は静岡県が昭和四四年度に支出した前記ヘドロ浚渫費一億五〇〇〇万円につきこれを原因者に賠償せしむべき請求が含まれていると解すべく……」(原判決一三丁裏)といつている。このような解釈の余地があるとすれば前置手続の住民監査請求の内容は安定を欠き、住民訴訟は基礎がゆるぐことになる。であるからこそ前述のとおり、内容の不明確な監査請求(3)は無効と解すべきである。よつて、これを有効とした原判決は破毀を免れない。

第二点 原判決が本件住民監査請求(3)を本件住民訴訟の適法な前置手続であるとしたことは、地方自治法第二四二条の二の解釈を誤つたもので、破毀を免れない。すなわち、

監査請求(3)は監査請求としては無効であることは第一点で述べたとおりである。仮りに有効だとしても、住民訴訟とは結びつかない。監査請求(3)は浚渫費を上告人に負担させることを求めるものである。負担とは法令(条例を含む)に基いて賦課徴収することである。このような賦課処分、徴収処分の発動を求める住民監査請求を経由した事実を主張して、これとは異質の静岡県知事が上告人にヘドロ浚渫の損害賠償を請求しないことが財産の管理を違法に怠るものであるという理由で静岡県に代位してなす住民訴訟は、監査請求に係る行為、又は怠る事実との関連を欠くものであり、地方自治法第二四二条の二に違反する。

第三点 原判決は地方自治法第二四二条の二の解釈を誤つた違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすものである。

住民訴訟では、地方自治法二四二条一項の住民監査請求を経由した旨の主張がなされなければならない。本件において、被上告人らは本件監査請求(3)の住民監査請求を経由した事実の主張だけでなく、「この監査請求は、静岡県知事が上告人に対してヘドロ浚渫に関する不法行為による損害賠償請求権を行使しなかつたことが違法に財産の管理を怠る事実に該ることの確認の請求を含む」旨の主張をしなければ、静岡県に代位して上告人に損害賠償請求をすることはできない。けだし、右の事実は住民訴訟の要件事実で、これを欠く訴訟は不適法といわなければならないからである。

右の後段の主張「この監査請求は……確認の請求を含む」がなされていないのに、住民訴訟の請求原因としては充分であることを前提として審判したことは審理不尽又は理由不備のそしりを免れない。

第四点〈省略〉

第五点〈省略〉

第六点 原判決は地方自治法二四二条の二の「違法に怠る事実」の「違法」の解釈を誤つたために判決に影響を及ぼすものであるから破毀を免れない。

一、地方自治法二四二条の二の「違法に怠る」とは単なる不作為ではなく、その不作為が法令、条例に違反するか、背任、横領等の犯罪に該当する場合である。

普通地方公共団体が損害賠償請求訴訟を提起するには議会の決議を要するものであるが、「訴を提起すべき」旨の決議がなされたのにこれに従わないことは「違法に怠る」といえよう。

二、しかしながら、田子の浦港が建設された昭和三六年以来、静岡県がヘドロ浚渫費を支出したことが静岡県にとつて損害であるとして論議された例がなく、県議会において取上げられたこともない情況の下において、昭和四五年八月一一日上告人らに対して浚渫費を負担せしめる措置をとらなかつたことが、県知事が財産の管理を「違法に怠る」事実に該当するものとする住民監査請求がなされたのである。住民である被上告人らが昭和三六年以来静岡県が浚渫費を上告人に負担せしめなかつたことを知りながらこのことを黙認したことは被上告人らも静岡県の長である知事の「違法に怠る」事実に該当するという認識をもたなかつたからである。

三、ヘドロの原因者たる上告人に対して浚渫費を負担させるには根拠の条例又は規則がなければならない。昭和四五年八月一一日現在においてこのような条例、規則が未制定であつたために浚渫費を上告人に負担させる手続に着手しなかつたからといつて「財産の管理を違法に怠る」ことにはならない。

四、田子の浦港の浚渫費は上告人が潤井川、沼川(以下本件河川という)にSSを含む工場廃水を排出したために河川の水が港内に流入し、そのためにヘドロが堆積したので、田子の浦港の管理者である静岡県が港湾管理者として浚渫して支出した費用であるから、静岡県は最初に原因を作つた上告人らに対する不法行為による損害賠償請求権を取得したから、静岡県の長である竹山がこれを行使しなかつたことは、財産の管理である損害賠償請求権の行使を「違法に怠つた」ものであると原審は判断したが、「違法に怠つた」ことに該当しないことは右三で述べたとおりである。

なお、損害賠償請求権不行使が財産の管理を違法に怠る事実に該るとする住民監査請求を経ていないこと及びその効果については第二点で主張したとおりである。

要するに原判決は地方自治法二四二条の二の一項の「違法な」の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすにいたつたもので破毀を免れない。

第七点 原判決には理由の不備または齟齬の違法があり破毀を免れない。

一、被上告人らは竹山祐太郎が静岡県の知事として昭和四四年度に田子の浦港の浚渫費一億二〇〇〇万円を支出したことについて、

(一) これをヘドロの原因者である上告人らに負担せしめなかつたことが違法であるとして静岡県に代位して竹山祐太郎に対して損害賠償請求をなし、

(二) 上告人らがヘドロの原因者であるのに、静岡県の長が上告人らに対する損害賠償請求権を行使しないのは違法に財産の管理を怠るものであるとして被上告人らが静岡県に代位して損害賠償請求をした。

二、ところで、

(一) 上告人に対してヘドロ浚渫費を負担せしめる権限が静岡県になかつたという理由で、被上告人らの竹山に対する損害賠償の代位請求を棄却した。普通地方公共団体が負担金を徴収するには条例又は規則がなければならないことは当然であり、本件においてはこのような条例、規則がなかつたから、原審のこの点に関する判断は正しかつた。

(二) 本件住民訴訟の前置手続である住民監査請求手続では「ヘドロの浚渫費を原因者である上告人らに負担させる」こと、換言すれば、上告人らに対する静岡県の行政処分の発動を求めるものであつた。このことは第一点乃至第二点でも言及した。

ところが住民訴訟では「静岡県がヘドロの原因者である上告人らに対して浚渫費相当の損害賠償請求権を行使しなかつたことは財産の管理を違法に怠る事実である」として静岡県に代位して上告人らに損害賠償請求をしたもので、原審は結局において、静岡県が上告人らに浚渫費を負担せしめること即負担金の徴収は許されないが、「損害賠償請求」という形で静岡県が上告人から浚渫費を取り立てることは静岡県の権利であるとして、被上告人に対する請求を認容した。

このことは、静岡県の長である知事竹山祐太郎に浚渫費相当額を上告人らから取り立てる権限と職務があつたことを前提とするものである。だとすれば、静岡県の長である竹山が上告人らから浚渫費相当額を取り立てなかつたことは同人の職務怠慢であり、同人に対する損害賠償請求は棄却せられるべきではなかつたのである。

三、原審では静岡県に対する上告人の浚渫費負担の公法上の義務には触れなかつたが、静岡県が浚渫費相当額を損害賠償という名目で上告人に請求しなかつたことは違法に財産の管理を怠るものであるとして、住民監査請求にはこの趣旨をも含んでいたと解し、さらに住民訴訟でこのような主張がなされているものとして、被上告人らの上告人らに対する代位請求を認めた。

他方、原審は静岡県とその長である知事竹山祐太郎との関係では静岡県には負担金として上告人から浚渫費を取り立てる根拠がなかつたとの理由で、被上告人らの竹山に対する代位請求を棄却した第一審判決を支持した。この理由は静岡県が竹山に対して有する損害賠償請求権を長である竹山が行使しなかつたことは財産の管理を違法に怠るものではないと考えたからである。

静岡県が竹山に対して職務懈怠による損害賠償請求権を有することと、静岡県の知事がこれを行使しなかつたことが財産の管理を違法に怠るものであるとすることは、原審が上告人に対する場合と同じように公平な立場からすれば当然得られる結論であろう。にもかかわらず、竹山に対する職務懈怠による損害賠償請求を棄却しながら、上告人に対する損害賠償請求を認めることは公平の原則に反し、かつ、理由が矛盾するもので破毀を免れない。

第八点 原審は静岡県が支出した田子の浦港のヘドロ浚渫費は上告人が田子の浦港に流入する本件河川にSSを多量に含む工場廃水を排出したために堆積したヘドロを浚渫せざるを得なかつたもので、静岡県の上告人に対する不法行為による浚渫費相当の損害賠償の代位請求を認容した。この点は原審が民法七〇九条の権利侵害、又は損害の解釈を誤つたもので、判決に影響を及ぼす法令違反であり、原判決は破毀を免れない。すなわち、

一、原審の考え方の根本はヘドロの堆積は上告人の本件河川への廃水排出が主な原因であつて、河川管理者たる静岡県知事及び港湾管理者たる静岡県には何ら責むべき事情がないこと、浚渫のための支出は何らの見返りも伴わないものであること、又はこの損害は上告人らから賠償を取り立てなければ補う方法がないとするものである。

二、静岡県の歳入予算には田子の浦港に係る各種使用料(例えば港湾占用料、港湾使用料、田子の浦港特別使用料)が計上せられていることは予算の性質上当然である。(癸二号証参照)使用料は公の施設の使用に対し、その反対給付として徴収される公法的性質の負担で、その行政財産、又は公の施設の維持管理費、減価償却費に当てられるべきもので、施設につき必要な経費を賄うに足る限度に定められるものである(長野士郎著「地方自治法」六九九頁)。田子の浦港の場合は一般の港湾における使用料の他にヘドロ浚渫費を賄うための特別使用料を徴収することになつていることは癸二号証によつて明らかである。静岡県は田子の浦港のヘドロ浚渫費を特別使用料という名義で港湾利用者から徴収している。つまり、港湾利用の反対給付として港湾使用料及び特別使用料を徴収してヘドロの浚渫その他の港湾整備を行つているのである。

ヘドロの原因者が何人かということは港湾管理者と港湾利用者との間では問題にされない。

三、このように港湾管理者たる静岡県はヘドロ浚渫資金を特別使用料という名義で利用者から徴収しているから、ヘドロ浚渫費を支出しても財産的損害を蒙つたことにならない。徴収する特別使用料が支出する浚渫費を上回ることもあり得る。

四、ヘドロ堆積について上告人らに原因者としての責任があるとすれば、被害者は特別使用料の支払人である港湾利用者であつて、港湾利用者が上告人らに対して損害賠償を請求するのならば理解できないことはない。

ヘドロ浚渫費の支出によつて静岡県が損害を蒙り、上告人らに対して損害賠償請求権を取得したとした原判決には民法七〇九条の権利侵害、又は損害の解釈を誤つたものである。

第九点〈省略〉

第十点 上告人の工場廃水の排出が原因で静岡県が昭和四四年度に約一億二〇〇〇万円の浚渫費を支出せざるを得ない結果になつたとしても、上告人の廃水排出は違法性を欠き上告人は損害賠償義務がない。この点を誤つた原判決には理由不備もしくは齟齬がある。

一、上告人は過去何十年となくSSを含む工場廃水を排出しており、その方法は甲一五号証乃至三七号証によつて明らかなように、河川管理者に届出をした上で、河川地域に設備を設けて且つ手数料を支払つているのである。また、上告人は工場で使用後廃水として河川に排出するものとして、工業用水を静岡県から買つているが、工業用水を上告人に売れば本件河川へ排出されることは当然であり、静岡県はあらかじめこのことを承知しているのである。

二、上告人の廃水排出については未だかつて違法であることの非難や指摘を受けたことはなかつた。

工場廃水を本件河川に排出するについて河川管理者からも一度も注意を受けたことも指導を受けたことも、いわんや改善の勧告なり命令を受けたこともなかつた。河川管理者とその下流に位置する田子の浦港の管理者である静岡県はヘドロ堆積について最初から異議権を放棄していたものということができる。

三、右のような事情の下で長く続いた状態でも、社会情勢の変化に応じて徐々に非難を受けるに至ることはあり得るが、道義的非難の段階を通り越して一挙に違法性ありとの評価を受けることは考えられない。

昭和四六年水質汚濁防止法の施行に伴つて本件河川の水質が規制を受けるに至つたが、それ以前に準備として静岡県においてもSSに関する水質指導基準が研究されたが、これは内部的な指導の努力目標であつて、対外的に公表され、一般的に拘束力を有するものではなかつた。まして原判決理由中の四の(三)の7で認定されている水質は最も理想的な基準であり、排出される廃水の水質がこれに及ばないことを不法行為の原因にすることは常識に反するものである。

四、理想的な水質基準や静岡県が将来の努力目標として内部的に設定した指導基準よりも悪い水質の廃水排出を直ちに違法な行為として損害賠償責任の原因とした原判決には理由不備もしくは齟齬の違法がある。

第十一点ないし第十四点〈省略〉

第十五点 以上述べたすべての上告理由が認められない場合は、予備的に、興亜工業株式会社、大興製紙株式会社及び本州製紙株式会社の各訴訟代理人提出の上告理由を援用する。

住民監査請求目録

1 竹山祐太郎が違法不当に支出した昭和四四年度の田子の浦港の浚渫費一五〇、〇〇〇、〇〇〇円を同人をして静岡県に返還させること。

2 今後静岡県知事をして公金によつて汚泥処理プラントを維持させないこと。

3 大昭和製紙株式会社等の大製紙企業に浚渫費用を負担させること。

4 ヘドロを浚渫する場合には住民の保護、衛生を考慮し、悪臭、硫化ガスを発生させない方法で行うこと。

5 浚渫したヘドロは住民の生命、身体及び財産、漁民の生命、身体及びその生活の糧である漁業資源に有害な影響を与えない方法で廃棄処分すること。

上告人大興製紙株式会社代理人河野富一、同河野光男の上告理由

第一、東京高等裁判所は、地方自治法二四二条及び同条の二の適用を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違反をおかした。

(1) まず我々は、本件が住民訴訟であることを忘れてはならない。

被上告人らは静岡県に代位することによつてはじめて上告人に本件損害賠償を請求し得る立場にあるものであるところ、同県に上告人らに対する右賠償請求権が存在しないことは、すでに静岡地方裁判所が正しく説示したところである。

(2) 東京高等裁判所は、控訴審判決で監査請求(3)には、静岡県が昭和四四年度に支出したヘドロ浚渫費一億五、〇〇〇万円を原因者に賠償せしむべき請求が含まれていると説示するが、右解釈は誤りである。

右監査請求(3)の目的とするところは、今後浚渫費用を上告人のひとり大昭和製紙等に負担せしむべきであるというだけのことであつて、之に既払額の返還を求むる意図のないのは勿論のこと上告人たる大興製紙をその対象としたものでもまたない。

そもそも、かかる重大事実の認定は、到底之を弁論の全趣旨などから認定すべき筋合のものではなく、双方に十分の主張立証をつくさすべき体のものである。

東京高等裁判所の右判断は採証方法を誤つた誠に遺憾な処置と断ぜざるを得ない。

(3) また本件監査請求は、昭和四五年八月一一日に行われたものであるところ、監査の対象となる公金の支出が右請求の日から一年を経過したときは、正当な理由がない限り右の対象とならないのは法の定むるところである。

ところで本件支出は、昭和四三年四月一日から同四四年三月三一日までの間の浚渫費と云うことであるが、その支払が右請求の日である昭和四四年八月一二日以降であるとの被上告人側の主張立証はなく、当然のことながら、それ以前の支出について(仮りに之があるとすれば)の正当理由の存在の有無も、全く議論されていない。

この点の判断を欠く住民訴訟がその要件をみたさざるものであることまた疑問の余地なきところである。

しかりとすれば上告人に対する賠償請求はそもそも監査請求という法手続的前提を欠くものというべきである。

(4) 結局、同高等裁判所は、適用の余地なき前記地方自治法の法条にもとずき判決を為す違法を犯したこととなる。

第二、東京高等裁判所は、上告人の汚水排出を不法行為ときめつけるが、右は民法第七〇九条の適用を誤まり、ひいては審理をつくさず、その論旨杜撰なため、上告人に対し違法な損害賠償義務を認めるものである。

(1) 右判決は、本件河川の汚染が極めて著しいので上告人らに損害賠償の義務があるというが、右は誠に浅薄な議論と非難せざるを得ない。

そもそも上告人の工場廃水排出行為が、何故違法であるのか。

右判決は、四被控訴会社に対する損害賠償の請求の項の(三)7で、河川の水量基準について縷縷述べるが、同基準は正に実情を無視した机上の空論もしくは理想境の実現を夢みるものであつて、地域社会の実情に合致せず(右があげるSS一〇PPMは、河川の流心におけるそれであつて工場排水口の数値をはかる近藤鑑定と対比するを得ないが)、また静岡県公害防止条例施行規則による工場排水の水質基準もかつて上告人会社に一度たりとも示されたことのない、実情を無視したものであるところ突然之を控訴審判決につきつけられても上告人はその返答に苦しむものである。

更にここでも最も重要なことは右静岡県水質基準にいう最高数値SS二〇〇PPMを上告人会社大興製紙は、前記鑑定時わずか一九PPM超過していたものに過ぎず、控訴審判決が云うが如く、右基準をはるかに超えるとか或いは社会的許容性の範囲を逸脱するとかの非難をあびせられる謂のないものである〔ちなみにいえば、上告人が出す排水中のSSの量は、近藤鑑定二一九PPM(控訴審判決別表一一)、富士市の調査結果平均103.52PPM(同判決別表一〇)、三井嘉都夫氏の調査最高158.4PPM最低八PPMの如くであつて、右会社の公害防止の決意の存在は十二分に之を読みとることが出来るのである〕

(2) 上告人会社の排水汚濁度は、昭和四四年当時における何の法律規則に違反するものでなく、右排出行為は社会的相当性を有するものであるから之を無暗に違法ときめつける東京高等裁判所の判断は誤りであり、絶対肯認出来ない。

(3) また上告人の不法行為を論ずる場合、本件に関する故意がないのは勿論のこと、過失として、右高等裁判所は如何なる注意義務違反を指摘するのか、また汚水排出と静岡県費支出との間に具体的にどんな因果関係があるのか、かかる論点の解明なくして上告人を不法行為者ときめつける東京高等裁判所の判決は一方で法令の適用を間違つてその結論をあやまるものであると共に、これら諸点に関する審理をつくした上での慎重な究明を怠つたことにより、審理不尽、理由不備の違法があると云うべきである。

第三、〈省略〉

第四、以上の如く、東京高等裁判所の判決には、法令違反、理由不備の違法があること明らかであるからすみやかに之を破棄差戻した上更に同裁判所において昭和四四年上告人が二一九PPMのSSを排出したことが何故もつて違法となるのかが、十分審議さるべきである。

第五、なお上告人は上記のほか本件における他の上告人すなわち大昭和製紙(株)、本州製紙(株)、興亜工業(株)の上告趣意をそれぞれ援用するものである。

上告人興亜工業株式会社代理人井口賢明の上告理由

第一、原判決は、地方自治法二四二条、同条の二の適用につき、判決に影響を及ぼすこと明らかな違背がある。

一、原判決の認容した被上告人らの請求の内容は、民法七〇九条の不法行為に基づく損害賠償の請求である。これについて、原判決は、「監査請求(3)によれば、右請求には、静岡県が昭和四四年度に支出した前記ヘドロ浚せつ費……につき、これを原因者に賠償せしむべき請求が含まれていると解す」るとしている。

しかし、原判決の認容した請求は、監査請求の対象となつていず、したがつて訴訟要件を欠くものである。

二、被上告人らが静岡県監査委員に監査請求した内容は、前記請求に関する部分についていえば、「大昭和製紙株式会社等の大製紙企業に浚せつ費用を負担せしめること」というにある(静岡県公報昭和四五年一〇月九日付号外に登載の静岡県監査委員告示第一六号第一項3、(3))。

右が不法行為による損害賠償請求をせよというような直接的表現になつていないことを別としても、右には、静岡県が昭和四四年度に支出した浚せつ費用を上告人らの排水行為による静岡県の損害ととらえ、これを大製紙企業に補填させよというような内容は含まれていない。

これは、行政上言う原因者負担といういわば無色な意味で、浚せつ費用を大製紙企業に負担させよという内容の監査請求のみと解すべきである。もし、監査請求人である被上告人らが不法行為による損害賠償請求をするようにとの内容を監査請求の一つとしたのであるなら、もつと直截的に、損害賠償として補填をさせよというような表現を用いた筈である。

現に、静岡県監査委員も前記監査請求の内容を「これらに要する経費を原因者に負担させていないが、当然原因者に負担させるべきである」という主張と解して監査を実施していて、これら経費の支出が不法行為による静岡県の損害で、これを補填させるべきであるという内容の監査請求とは考えていなかつた。

要するに、被上告人らが監査請求をした内容には、原判決が認容した不法行為に基づく損害を補填させることの内容は含まれていなかつたものである。ただ、行政上の原因者負担といういわば無色の意味の内容の負担をさせよということが監査請求の内容となつていただけである。

三、地方自治法二四二条の二のいわゆる住民訴訟は、監査委員に対する監査請求が訴訟要件となつているものであるが、監査請求の対象となつた事項であるかどうかは、厳格に考えられるべきであつて、その内容を便宜的に、ゆるやかな形で考えるべきでない。

地方自治法のこれに関する規定の趣旨は、まず監査委員の監査により、改めるべきところがあれば、必要な措置を講ずべきことを執行機関なりに勧告し、まずその勧告をうけた執行機関なりの自働作用により、是正されることが予定されているのである。そして、監査委員のしかるべき監査結果が得られないとか勧告をうけた側の自働作用による是正が得られないとかの場合、初めて、司法判断を及ぼそうとするものである。

しかるに、監査の対象となつていないときは、監査委員による妥当な勧告も示されないし、法の予定する執行機関なりの自働作用も期待されなくなる。現に、本件についていえば、静岡県監査委員は、前記の監査請求につき、不法行為による損害の補填ということが監査請求の対象となつているとは考えなかつたことから、次のような判断を示している。

「昭和四四年度における田子の浦港の浚せつ費および汚泥処理プラント維持管理費約一五〇、〇〇〇、〇〇〇円(実支出額一四二、六三六、三二三円)は、負担金および港湾使用料によつてまかなわれており、製紙カスを廃棄している原因者から特に負担金を徴収していないが、」「本地域の製紙汚水等は、田子の浦港の建設着工以前から既に潤井川、和田川、沼川等の各河川に流入していたもので、これら河川の河口に建設されることとなつた田子の浦港への製紙汚水の流入およびこれに伴う製紙カスの堆積は当初から予測されたことであり、一般都市下水および大沢崩れ等河川流下土砂の処理とともに当然考慮されていたものである。すなわち、数本の河川が流入する田子の浦港は、他港に比して通常浚せつ費も多額になることは当然予測されたところであり、この特殊性のゆえに一般港湾使用料のほか、暫定的ではあるが特別使用料を徴収しているものである。」「したがつて、昭和四四年度において静岡県が施行した田子の浦港内の浚せつ工事および汚泥処理プラントの維持管理は、港湾管理者としての当然の通常業務であり、これに要した経費は管理者の負担においてまかなわれるべきものと認める。」

もし、製紙企業の廃水排出が不法行為で、それによる損害の補填ということが監査請求の対象となつていたのであれば、静岡県監査委員は、もつと違つた対応をしたかもしれないのである。

要するに、監査請求の対象となつているか否かは、厳格に判断されるべきである。

第二、原判決は、地方自治法二四二条の二の解釈につき、判決に影響を及ぼすこと明らかな違背があるかこれについて理由不備あるいは審理不尽の違背がある。

一、原判決は、「上告人らの工場廃水による本件河川の汚染は、後記のように極めて著しいので、右請求権(静岡県の上告人らに対する損害賠償請求権)の不行使は違法という」べきであるとする。そして、それ以上の説示はされていない。

二、地方自治法二四二条の二の住民訴訟による請求は、その怠る事実が違法でなければならない。怠る事実の相手方の行為が違法であれば即それに対する怠る事実が違法とされるわけではない。だから、仮りに上告人らの排水行為が違法だからといつて、すぐにそれに対する損害賠償請求権の不行使が違法とされるものではない。

通常の民事訴訟において、不法行為とされるべき違法な行為があればすぐに請求権の行使が認められるであろう。それなのに、地方自治法第二四二条の二がわざわざ、その怠る事実がなお違法でなければならないとするのは、住民訴訟が特殊な代位訴訟であることによると考えられる。したがつて、その違法という内容も住民訴訟の特殊性に応じた考慮がされてしかるべきである。住民訴訟は、地方公共団体なりの行政上の規律の不足をカバーしようとするものであつて、そこでは、その怠る事実の対象につき、過去にどのような行政上の対応をしてきたかということだつて、その違法を判断するにつき、考慮されるべきことである。

三、静岡県の田子の浦港あるいは各河川への廃水の排出についての行政上の対応については、次のようないきさつがあつた。

(一) この地域の製紙汚水などは、田子の浦港の建設以前から、潤井川、和田川、沼川などに流入していた。したがつて、それら河川の河口に掘削された田子の浦港には、これら汚水が流れ込むことが当初から予測されていた。一方、それら河川には、一般都市下水や富士山大沢崩れの土砂も入り込み、これがやはり、田子の浦港に流れ込むこととなつていた(これについて、ここに港を建設した行政自体が間違いであつたという批判もあつた。)

このようなことで、静岡県は、田子の浦港建設後も、ずつと製紙汚水が各河川を通じ、田子の浦港に流れ込むこと(原判決の表現をかりれば、垂れ流し)を黙認してきた。

(二) このことのため、静岡県は、田子の浦港が他の港に比して、通常浚せつ費が多額になることを予測していて、その特殊性から、一般港湾使用料とは別に特別使用料をも徴収していた。そして、港湾浚せつ費と特に名目されなかつたにしても企業者は、諸種の負担金を負担していた。

こういつたことから、静岡県は、昭和四四年度に支出した浚せつ費の支出につき、製紙企業者の不法行為による損害というような認識を持たず、通常の業務としての浚せつによるものであるとの考えであつた。

そして、静岡県が支出した昭和四四年度の浚せつ費もその以前の年度にくらべ、特に多額であつたわけでもない(昭和四四年度には、その以前に、別な事情から、浚せつが一時中止されたこともあつて、多少増加はしているが。)

(三) 静岡県は、昭和二六年ころから、岳南排水路を計画し、これを施工するようになつた。岳南排水路は、工場排水の専用排水路として計画実施されてきたもので、上告人らは、ここに工場排水を流しうるとの指導のもとに、その建設資金を負担してきた。

上告人興亜工業の関係する岳南三号第四については、全体の終末処理施設が構想されていたものの、その結論は出ていなかつたにしても、昭和三九年九月ころから供用が始められ、上告人興亜工業は、そのころから、ここに排出していた(ただ、当初のころは、下流部分が未完であつたため、途中、瀬戸川に放流されていた)。

そして、岳南排水路は、当初予定されていた終末処理施設の構想にかかわらず、海中放流処理計画などの変遷を経、結局は日の目をみず水質保全法などの適用区域になるに及んで、上告人興亜工業などは、自己処理をしろということになつてしまつた。

岳南排水路が現在一部事務組合の管理するところであるとしても、それの計画実施は、静岡県によつて進められてきた。一体そうしろというから、その指導に従つて来、定められた負担金(あるいはその使用料)まで支払いながら、国の公害行政に変遷があつたとはいえ、後は自己処理をしろというのでは、指導をうける側は、右往左往するばかりである。

(四) 静岡県としては、禁反言的な考え方からしても、上告人らの廃水排出につき、損害賠償請求などはできえなかつた筈で、逆にいえば、その不行使を違法などとしうるものではなかつたのである。

四、損害賠償請求権の不行使が違法だというためには、右のような静岡県の行政の対応の仕方、沿革をも判断したうえで違法だというのでなければならないし、また廃水の排出行為自体が放任行為として放任されて来、これを規制する法律上の根拠もなく、廃水排出行為自体も直接港湾を棄損するたぐいのものでなかつたことを考えた場合、これは違法だとは断じえないものである。

それを本件河川の汚染は、極めて著しいから、請求権の不行使は、違法だというのは、地方自治法二四二条の二の「違法な」怠る事実の解釈としては、誤つているといつてしかるべきであるし、理由としても不足か審理を尽していないというべきである。

第三、原判決は、民法七〇九条の解釈、適用につき、判決に影響を及ぼすこと明らかな違背があるか、これについて理由不備あるいは審理不尽の違背がある。

一、原判決は、河川に廃水を排出する場合、「許容限度を超え、他に被害を与えるにいたると、かかる廃水の排出は、違法である」「田子の浦港に堆積したヘドロは、本件河川に含まれるSSによるものであるが、(右SSの)数値は、(河川の水質として望ましい)数値のみならず、静岡県水質指導基準に定められた数値をはるかに超えるので、上告人らの工場廃水排出行為は違法であり、静岡県は、右違法なる工場廃水の排出により、田子の浦港に堆積したヘドロの浚せつを余儀なくされたのであるから、ヘドロ浚せつ費は、上告人ら四社ほか工場廃水を排出した者の共同不法行為による損害」であるという。

二、許容限度を超えているかどうかの認定には、従来工場廃水の河川への排出について、行政法上、規制する根拠がなく、放任行為として放任されてきたこと、静岡県のこれに対する行政上の対応の仕方、その沿革も第二、三、のようなことであつて、静岡県あるいは河川管理者としての知事もこれを黙認し、田子の浦港の浚せつも通常の業務と考えていたこと、排出されるものも重金属類などのように直接に人体に危害を及ぼしうるものではなかつたことなどから、慎重になされるべきである。

そして、静岡県水質指導基準に定められた数値をはるかに超えているから許容限度を超えているという言い方をするのであるが、これとても指導基準としての内部的なもので、外部に明白に示されたものではなく、規範としての意味を持つものではなかつた。そして、この指導基準の数値からしても、排水の水質が「はるかに超えている」などの表現が妥当するものでもなかつた。

また、他に被害を与えるにいたればというが、原判決のいう被害は、田子の浦港の堆積物の浚せつに費用を要したということで、これとても当初から予定されていて、毎年行なわれてきたことで、昭和四四年度が特に多額ということでもなかつた。

原判決が許容限度を超えた廃水排出で、違法であるとして、民法七〇九条を適用したのは速断にすぎるというべきである。

三、そもそも放任行為による公共水域への排水による浚せつ費などは、特別な場合以外、不法行為による補填はひかえられ、行政上の原因者負担の法理(当時は公害防止事業費事業者負担法がなかつたが)によるべきである。

許容限度を超えているかどうかの判断が難かしいこともさることながら、もし不法行為による補填ということになると、関与者が一人だけでなく、必然的に多人数になることによつて、共同不法行為ということになるであろうが、共同不法行為では、その寄与率が極端に低い者であつても全損害を補填させなければならなくなる。不法行為の考え方によると、寄与率に応じて負担させるという結論がとれなくなるわけで、後に寄与率に応じた求償をすればよいといつたところで、結局は、公平をまつとうできない筈である。また、その結果について、不法行為者以外のものの原因が含まれていても、これを不法行為者とされるものに負せるようなことにもなりかねない。

本件については、不法行為による請求は、許されなかつたというべきである。

四、原判決は、昭和四四年度のヘドロの浚せつ費全部が上告人ら四社を含む工場廃水を排出した者の共同不法行為による損害だとしているようであるが、もし、本件のような一部請求の形でなく、全額の請求であつた場合、これを認める趣旨なのであろうか。しかし、浚せつしたヘドロのすべてが工場排水に起因したものではない筈である。

原判決は、上告人らの行為と損害との間の因果関係、あるいは損害の認定について、相当な説示に欠け、理由齟齬があるというべきである。

五、原判決は、民法九〇七条の解釈、適用を誤まつたというべきであるし、理由不備あるいは審理不尽がある。

第四、〈省略〉

第五、なお、上告人興亜工業は、以上の外に、他の相上告人である大昭和製紙株式会社、大興製紙株式会社、本州製紙株式会社の上告理由の内容を援用する。

上告人本州製紙株式会社代理人山根篤、同下飯坂常世、同海老原元彦、同廣田寿徳、同竹内洋、同馬瀬隆之の上告理由

第一点 原判決は地方自治法第二四二条及び第二四二条ノ二の解釈適用を誤つた違法があり、その違法は判決の結論に影響を及ぼすこと明らかであるので破棄されなければならない。

一、原判決は、被上告人らより上告人本州製紙株式会社(以下単に上告人という)に対する損害賠償の請求を以て、地方自治法第二四二条ノ二第一項第四号の「当該行為若しくは怠る事実に係る相手方に対する損害賠償の請求」に該当するものと認め、この請求を認容した。しからば、右損害賠償請求の前提として同法第二四二条の監査請求を経ることを要するものであるところ、被上告人らが本件訴訟を提起する以前に静岡県監査委員会に対し行つた監査請求にあつては、原判決が「違法な怠る事実」として認定した不法行為による損害賠償請求権の不行使は監査請求の対象とはされていない。

この点において、原判決は、被上告人らの訴が不適法なものとして却下すべきものであることを看過し、被上告人らの損害賠償の請求を認容したものであつて、地方自治法第二四二条及び第二四二条の二の解釈適用を誤つたものであり、右誤りは判決の結論に影響すること明らかである。

二、地方自治法第二四二条第一項は、「普通地方公共団体の住民は当該普通地方公共団体の長若しくは委員会若しくは委員又は当該普通地方公共団体の職員について、違法若しくは不当な公金の支出、財産の取得、管理若しくは処分、契約の締結若しくは履行若しくは債務その他の義務の負担がある(当該行為がなされることが相当の確実さをもつて予測される場合を含む。)と認めるとき、又は違法若しくは不当に公金の賦課若しくは財産の管理を怠る事実(以下「怠る事実」という。)があると認めるときは、これらを証する書面を添え、監査委員に対し、監査を求め、当該行為を防止し、若しくは是正し、若しくは当該怠る事実を改め、又は当該行為若しくは怠る事実によつて当該普通地方公共団体のこうむつた損害を補填するために必要な措置を講ずべきことを請求することができる。」と定めている。

ところで、被上告人らの静岡県監査委員会に対する監査請求の要旨は次のとおりであつた。

「(一) 静岡県知事は、地方公共団体である静岡県の長として、

(1) 静岡県田子の浦港の施設を良好な状態に維持すること。(港湾法第三四条、同第一二条第一号)

(2) 住民の安全、健康、福祉を図ること。(地方自治法第二条第三項第一号)

(3) 自然の美化、清潔を汚す行為を制限し、保健衛生の向上に努力すること。(地方自治法第二条第三項第七号)

(4) 静岡県の公金を支出するに際し、憲法および法令を遵守し、違法又は専恣に基く不当な支出をしてはならない。(憲法第九四条、地方自治法第二三二条、同第二三二条の三、地方財政法第二条)

等の義務を有する。

(二) しかるに、静岡県知事は、大昭和製紙株式会社他特定の大製紙企業の工場が製紙製造過程から排出する製紙カス(通称ヘドロ)を、田子の浦港に通ずる沼川、和田川、潤井川等に直接排出することを放置あるいは助成し、田子の浦港に大量のヘドロを堆積させ、その結果、港湾としての機能を麻痺させ、悪臭、硫化水素ガスを発生せしめ、住民の健康に有害な影響を与え、沿岸漁民に甚大な被害を与え、さらに前記ヘドロを除去するため昭和四四年度には静岡県の公金約一億五千万円を支出し、さらに同四五年度には約一億二千万円の予算を計上し、公金を違法不当に支出し、又はしようとしている。

又、静岡県知事は、大昭和製紙株式会社鈴川工場から沼川に排出される製紙カスを除去するため田子の浦港沼川新橋下に汚泥処理プラントを設け、これを維持管理するため公金を支出している。

(三) そこで本請求人等は、

(1) 竹山祐太郎が違法不当に支出した昭和四四年度の田子の浦港の浚渫費一億五千万円を同人をして静岡県に返還せしめること。

(2) 今後、静岡県知事をして公金によつて汚泥処理プラントを維持管理せしめないこと。

(3) 大昭和製紙株式会社等の大製紙企業に浚渫費用を負担せしめること。

(4) ヘドロを浚渫させる場合には、住民の保健、衛生を考慮し、悪臭、硫化水素ガスを発生させない方法で浚渫させること。

(5) 浚渫させたヘドロは、住民の生命、身体及び財産、漁民の生命、身体及びその生活の糧である漁業資源に有害な影響を与えない方法で廃棄処分せしめること。

(6) その他、適宜の措置が講ぜられるよう住民監査請求に及んだ。」(癸第二号証参照)

右にみたとおり、地方自治法第二四二条第一項に所謂地方公共団体の長に存する違法又は不当な「行為」若くは「怠る事実」として被上告人らが監査請求をなしたのは、明らかに(1)田子の浦港の管理を怠つたこと、及び(2)ヘドロを除去するために、昭和四四年度に公金約一億五千万円を支出し、さらに昭和四五年度に約一億二千万円を予算に計上して支出しようとしていること、だけである。(地方自治法第二条第三項第一号の住民の安全、健康、福祉を図ることを怠つたこと及び同項第七号の自然の美化、清潔を汚す行為を制限することなどを怠つたことは、財務会計上のものではないので、監査請求の対象とはなり得ない)。而して、そのヘドロの除去のための県費の支出を違法不当な公金の支出であるとし、その是正のための措置として、知事個人に対する返還請求およびヘドロ排出企業に対する費用負担請求を求めているに過ぎない。

ヘドロ排出企業に対する不法行為に基づく損害賠償請求を県が怠つているとの主張およびその怠る事実の是正の措置として右不法行為に基づく損害賠償請求権を行使すべき旨の請求は、監査請求中には、見出し得ないのである。

三、原判決は、「前記監査請求(3)によれば、右請求には静岡県が昭和四四年度に支出したヘドロ浚渫費一億五、〇〇〇万円につき、これを原因者に賠償せしむべき請求が含まれていると解すべく、静岡県が被控訴会社らに損害賠償を請求しなかつたことは、弁論の全趣旨から明らかであり、被控訴会社らの工場廃水による本件河川の汚染は、後記のように極めて著しいので、右請求権の不行使は違法というべく、控訴人らが、静岡県に代位して、右損害の賠償を求める本訴請求は、適法である。」と判示して不法行為に基づく損害賠償請求を認容した。ここに原判決のいう「前記監査請求(3)」とは、前述した監査請求の要旨(三)(3)「大昭和製紙株式会社等の大製紙企業に浚渫費用を負担せしめること」をとらえてのことであると思われる。しかしながら右(三)(3)「……大製紙企業に浚渫費用を負担せしめること」という監査請求は、違法又は不当な「行為」若くは「怠る事実」としての「田子の浦港の管理を怠つたこと」及び「ヘドロ除去のために公金を支出したこと」によつて生じた「当該普通地方公共団体のこうむつた損害を補填するために必要な措置」(地方自治法第二四二条第一項後段)としてその浚渫費用を製紙大企業に負担せしむべき旨を請求しているに過ぎず、ヘドロ排出という不法行為(本件において果して不法行為が成立するかは大きな問題点であり、上告人は別個の見解を有するが、この点は後に論ずる)を原因とする損害賠償請求権の行使を県が怠つていることを是正する措置として右請求権の行使を求めているものと解する余地はない。何となれば、本件監査請求において、その冒頭に掲記された静岡県知事の義務は、さきに一、(一)(1)ないし(4)に列記したとおりであつて、これらの中には、製紙大企業のヘドロ排出という不法行為による損害賠償請求権を静岡県知事が適切に行使すべき義務という項目は含まれて居らず、県知事がそのような損害賠償請求権の行使義務を怠つたとの主張も監査請求の何処にも見出されないのである。かつまた、一、(三)(3)の文辞も「浚渫費用を製紙大企業に負担せしむべきこと」というのであつて、これは「ヘドロ排出により県のこうむつた損害を製紙大企業に賠償せしむべきこと」というものとは法律構成を異にする別個の主張である。前者は、浚渫は製紙大企業の負担において実施すべきものであるとの観念を基礎とし、公金を支出して浚渫を行つたことは違法不当な公金の支出にあたるとの主張を前提とし、その是正措置として原因者負担の法案(港湾法第四三条の三)にもとずき浚渫費を製紙大企業に負担せしめよ、というものであつて、不法行為による損害の賠償を請求せよというものではないのである。

住民訴訟の出訴の要件として要求される「違法な行為」又は「違法な怠る事実」は監査請求の対象の範囲と一致しなければならず、監査請求の対象としていなかつた「行為」又は「事実」を訴訟においてあらためて請求することができないことはいうまでもない(俵静夫「地方自治法」法律学全集一二九頁参照)。

被上告人らの行つた監査請求においては、上告人に対する不法行為による損害賠償請求権の行使を静岡県知事が違法若くは不当に怠つているとする事実は勿論、不法行為による損害賠償請求権の存在についてすら、何ら触れられておらず、監査請求の対象たる「行為」又は「事実」として「不法行為による損害賠償請求権の不行使」が問題とされたことはない。

原判決は、監査請求の「対象」とされている「行為」又は「事実」と、その行為又は事実に対してとるべき「措置」としての「損害賠償の請求」を混同し、監査請求を経ていない「行為」又は「事実」につき、実体的な判断を行つたものであり、明らかに、地方自治法第二四二条及び第二四二条ノ二の解釈適用を誤ったものと言わなければならない。右法令の解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるので、原判決は破棄をまぬがれない。

第二点〈省略〉

第三点 原審は、次に述べるとおり、釈明権の行使を怠り、ひいては審理不尽の違法をおかしたものというべく、この違法は、判決の結論に影響すること明らかであるので、原判決は破棄されるべきものである。

一、釈明権とは、訴訟関係を明確ならしむるため事実上及び法律上の事項に関し、当事者に対し問を発し、または立証を促す裁判所の権能をいい(民事訴訟法第一二七条一項)、概してその内容としては「当事者の申立及び陳述の欠缺(立証の際に現われた事実について当事者の主張がない場合を含む)矛盾、不明瞭、誤謬に注意を喚起し、訂正補充除去して、これを完全にする機会を与え、又は争いある事実につき全く証拠の申出をせず又は申出た証拠をもつてしては立証をつくし得ない場合、証拠方法の提出を促す」(菊井・民事訴訟法上七〇頁)ものであるとされ、その範囲ないし限界については、弁論主義との関係で議論のあるところである。

当事者及び事実審裁判所が実体法の規定の要件事実を充分理解し、その請求の当否を争い、かつこれが判断されるという訴訟法が本来予定しているような形で訴訟が進行する場合には、裁判所の釈明権の行使が必要とされることはほとんどないであろう。しかしながら、そのような理想型的な訴訟は、簡単な手形金請求、貸金請求事件のように、申立や攻撃防禦方法が定型化されたものに限られる訴訟であれば格別、やや複雑な争点をもつ訴訟においては、期待し得るものではない。多くの場合においては訴訟関係者が充分法律および訴訟技術に精通していたとしても、当事者間または裁判所と当事者との間において、実体法規の解釈適用に関して見解が相違したり、間接事実の重要さや証拠の評価について考え方や認識に差異が生ずるのが通常である。そのために当事者は、裁判所の立場から見たとき、焦点のぼけた主張をしたり、不要、不当な主張や立証をしたり、ときには不適切な請求をしたりしがちである。これは最終的判断権が裁判所に専属している以上、多かれ少なかれ避け難い現象といえるであろう。したがつて適正にしてかつ迅速な訴訟を実現するためには、裁判所は常に争点を明確にし、不要、不当な主張立証を排除し、あるべくして欠けている主張立証の補完を促す作用を果さなければならない。釈明権といわれる訴訟指揮は、まさに、このために行われるのである。その意味で釈明権は、各訴訟の段階で客観的に考えられる訴訟のあるべき姿を基準とするということができるであろう。この基準に照らし、事実審の釈明権行使が不十分であり、かつそれが事実審判決の結論を不当な結果に導いたと思われるとき、上告審は釈明権の不行使を違法と判断すべきである。従つて、これは、実体法の解釈適用の誤りや経験則違反、審理不尽、即ち審理自体のずさん、不十分などの違法と相接したものであり、またそれらと相互にからみ合つている場合が多いのである(最高裁判所判例解説 昭和四四年度(下)九一六頁以下、千種秀夫判事の評釈参照)。

二、本件訴訟における被上告人らの上告人に対する損害賠償の請求が、地方自治法第二四二条ノ二第一項第四号に所謂「普通地方公共団体に代位して行う……当該行為若しくは怠る事実に係る相手方に対する損害賠償の請求」であり、出訴の要件としてまず「当該行為」又は「怠る事実」につき監査請求を経ることを要するものであること、ならびに、右「当該行為」又は「怠る事実」をめぐる当事者間の主張の状態については、上告理由第一及び第二点において詳述したとおりであつて、特に原審においては、要件事実の存否をめぐる主張、立証の点においてあるべき理想型訴訟としては、訴訟法的に整理されたものでなかつたのである。以下その理由を詳述する。

一方、上告人の工場排水の排出が静岡県に対する関係で不法行為とはならないとする点として、上告人は一審以来、概略次の如き主張をなして来たものである。即ち、上告人の富士工場における製紙事業は明治以来のものであり、その工場排水については、はやくより専用排水路を設けてこれを潤井川に排出していた。田子の浦港が建設されることとなつた地点は、右潤井川、沼川等既に本地区における多数の製紙工場等からの排水が流入している河川の河口であつたため、港内への製紙排水の流入およびこれらに伴う製紙カスの堆積は、一般都市下水及び富士山の大沢崩れ等による河川流下土砂の堆積とともに、港湾建設計画の当初より予測されていたものである。従つて工場排水の田子の浦港への影響を除去するために、別途静岡県により岳南排水路整備事業計画が企画実施されることとなり、その施行にあたつては上告人を含む関連企業に対する指導及び協力方の要請がなされ、企業側も費用、負担を含め全面的にこれに従つて来た。特に、上告人においてはその費用の負担は勿論のこと所有地の無償提供等、でき得るかぎりの協力を行つて来たものである。

即ち岳南排水路整備事業計画は、当初計画及び第一期計画にあつては農耕地及び住民地域における工場排水による被害除去を目的として専用排水路を築造し、灌漑用水路と排水路の分離がはかられたものであるが、その第二期計画以降は田子の浦港への影響の排除を目的としたものであつた。即ち、静岡県は昭和三四、五年度にわたつて行つたテストプラントによる研究の結果に基づき総排水の終末処理を計画し第二期後期及び第三期において実施することとした。第二期後期計画は河川及び港湾に沈澱した浮遊物による公害、及び田子の浦港の運営上の障害除去を目的とし、供用排水区域の拡大(四号、五号排水区の追加及び一号分排水路の新設)全排水を集合し、田子の浦港外東部海岸に直接放流するための大幹線排水路の建設、第三期計画は海中放流管の埋設をそれぞれ計画した。第二期後期計画は昭和四二年度を初年度とし昭和四六年度完成を目標としていたが、その完成までの応急策として昭和四一年に沼川河口に沈澱池をつくり、ここに沈積した汚泥を海中に放流すべく汚泥処理プラントを完成させた。(しかし、第二期後期計画については、地元漁協の反対により昭和四四年大幹排水路の建設を中止した。)

これら事業計画はその都度上告人ら企業側に表示され協力を要請されて来たものであり、これに要する費用も四分の一は企業負担金とされた。上告人も第二期後期計画にある五号排水路の使用を予定し右計画に全面的に協力して来た。

そして岳南排水路整備事業計画完成までの間にあつては、これら製紙カスは、河川流下土砂、沿岸漂砂等ととも、維持浚渫を毎年行うことによつて除去していくとされたものである。このため毎年行うべき維持浚渫費も他の港に比し当然多額となることが予測されたのでこの特殊性のゆえに、一般港湾使用料のほか暫定的ではあるが特別使用料を徴収することが決められ実施された。従つて静岡県の当地区における工場排水に関する行政指導等も右岳南排水路整備事業計画と切り離して論ずることはできなかつたものである。つまり被上告人らが被害者であるとする静岡県自体の指導のもとに、工場排水の排出を行つて来たものであるから、上告人の工場排水が静岡県に対する関係で不法行為となるなどということは、到底考えられないところであつたのである。

又一方、上告人は公害の発生防止については、最大限の努力をはかつて来たものであり、特に工場排水に伴う公害問題については昭和三六年一二月以来水質の汚濁の最も多いパルプの製造を漸次削減し、昭和三八年八月には完全にパルプの製造を廃止するとともに、セツトリングタンク二基の増設、スクリーン粕捕集用フイルター七基の新設、アドカ白水回収装置二基の新設など、公害防除設備の拡じゅうをはかつて来たものであること、等を主張して来たのである。(第一審における昭和四六年六月二六日付、同年八月二八日付、昭和四八年一二月一五日付、昭和四九年四月二七日付、第二審における昭和五〇年一二月二四日付各準備書面参照)そして、右主張事実を立証するために、証人として車沢正吉、川口清俊、荻忠四郎、斉藤新作、青木正国、石川淑郎、佐野信之、市川武等の人証の申出をなしたのである(昭和四八年三月一七日付、証拠申出書、三通 参照)。これらの証人により特に田子の浦港の建設計画、右計画のうちの港湾機能の維持、管理方法、岳南排水路整備事業計画と田子の浦港との関係、工場排水に関する静岡県の行政指導、上告人の昭和三〇年代以降における生産状況、パルプ製造の廃止、公害防止のための施策、上告会社の工場排水の水質、特に昭和四五年一二月一六日(第一審における検証実施日)における排水の水質等々について、立証しようとしたものである。(前記証拠申出書中各尋問事項参照)

三、ところが、第一審裁判所は、上告人らに対する損害賠償の請求については、

「この請求は、地方自治法第二四二条の二第一項第四号にいう『普通地方公共団体に代位して行なう……当該行為若しくは怠る事実に係る相手方に対する……損害賠償の請求』に該当するものと解されるところ、本件においては、右にいう『当該行為若しくは怠る事実』は存在しないものと認められるので、原告らの右請求は理由がないといわざるを得ない(なお訴訟要件は具備しているものと認められる。)。すなわち、右同条にいう損害賠償請求をするためには、その前提として、違法な公金の支出等のいわゆる『当該行為』もしくは財産の管理を怠る等のいわゆる『怠る事実』がなければならないことは、右規定の文言自体からして明らかであるが、本件においては、既に述べたとおり、ヘドロしゆんせつ費の支出を違法な公金の支出ということはできず(仮にこれが違法な支出になるとしても、被告会社らは支出の直接の相手方ではないので、これに対して損害賠償の請求はできない。)、また、本件河川および田子の浦港に関する被告静岡県知事の管理に違法な懈怠があつたものということもできないのであるから、右にいう『当該行為若しくは怠る事実』はいずれも存在しないというべきである。してみれば、原告らの被告会社四社に対する本件損害賠償請求は、その前提を欠くものとして失当といわざるを得ない。」

として、被上告人らの請求を棄却した。

即ち、第一審裁判所は、被上告人らの上告人に対する損害賠償の請求の前提となる「違法な行為」又は「違法な怠る事実」として被上告人らの主張するところは、河川及び港湾の管理を怠つたこと、及び昭和四四年度に行つたヘドロ浚渫のための公金の支出のみであるとの判断のもとに、かかる「違法な行為」及び「違法な怠る事実」の存在を否定し、被上告人らの請求を棄却したものである。

従つて、当然のことながら上告人の工場排水の排出が静岡県に対する関係で不法行為とはならないとする理由として上告人が主張する事項についてまで審理することなく、即ち、その立証のために申立てた証拠調も採用することなく前記のとおり判断を示したものである。

四、この様な状況のもとに、被上告人より控訴が提起せられ、原審に於ける審理が行われることになつたところ、「違法な行為」又は「違法な怠る事実」をめぐる当事者間の主張については上告理由第一、及び第二点で述べた程度の極めて不明瞭な状態のままに推移したのである。

この様な経過にあつて、原審裁判所が、不法行為による損害賠償請求権の不行使をもつて「違法な怠る事実」と解し、その前提に立つて、被上告人の損害賠償請求の許否を決しようというのであれば、当然、これらを明らかにし、(特に第一審において、右の点につき上告人より釈明を求めていることなど考えれば当然)、上告人に反論の機会を与えるなり、あるいは前述した上告人の主張する事項につき立証を促す(第一審において上告人が証拠申請していることを考えれば当然)等の釈明権を行使すべきは当然の責務といわなければならない。

特に、上告理由第五点において、述べるとおり不法行為成立の要件としての「違法性」を判断するにあたつては、前述のごとき事情について総合的に検討する必要があるのであるから、これらの事情について上告人の立証活動を促すべきは当然といわなければならない。

若し、原審裁判所が、これらの点につき釈明権を行使したならば、当然、上告人は前述のごとき事実を立証し得たものであるから、その結果は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

(特に、上告理由第四点において詳述するが、原判決が上告人の工場排水を違法と認定する根拠としてほとんど唯一の根拠たるべき第一審における検証の結果などは、原判決自体が認めているとおり装置の故障が発生している最中のものであり、通常の排水状態にはなかつたものであつてこれらの事情を証明するために証人石川淑郎の申請を行つていたのであるから(昭和四八年三月一七日付証拠申出書中証人石川淑郎の尋問事項 参照)、その結果によつて、原判決の結論が影響を受けることは明らかであつたと言わなければならない)

即ち、原審裁判所は当然なすべき釈明権の行使を怠りひいては審理不尽の違法をおかしたものというべくこの違法は判決の結論に影響すること明らかであるので原判決は破棄されるべきものである。

第四点 原判決は、上告人の工場排水の排出が静岡県に対し不法行為を構成するものと判断しているが、右判断については、法令の解釈適用を誤つた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすこと明らかである。又、右判断については審理不尽、理由不備の違法があり、原判決は破棄されるべきものである。

一、原判決は、「被控訴会社らの工場廃水の排出行為は違法であり、静岡県は港湾管理者として右違法なる工場廃水の排出により田子の浦港に堆積したヘドロの浚渫を余儀なくされたのであるから、ヘドロ浚渫費は被控訴会社四社ほか工場廃水を排出した者の共同不法行為による損害と言うべきである。」と判示し、更に、上告人の工場廃水の排出が違法である根拠として、「河川に廃水を排出しても、これがため河川の水質が許容限度内であれば、廃水を排出することは許されるが、許容限度を超え、他に被害を与えるにいたると、かかる廃水の排出は、違法である。……(中略)……田子の浦港に堆積したヘドロは、本件河川に含まれるSSによるものであるが、右SSは、前記(三)6で認定した数値を示し、この数値は、前記(三)7の数値のみならず、静岡県水質指導基準に定められた数値をはるかに超えるので、被控訴会社らの工場廃水排出行為は違法」である、とする。

即ち、原判決は、上告人らの工場廃水の水質は許容限度を超えるので違法であるとし、その許容限度を右のごとき水質の数値の比較により判断している。

しかしながら、不法行為成立の要件としては違法性(権利侵害にかわるものとして)の判断は、被侵害利益と侵害行為の相関々係から総合的になされるべきものである。違法性の判断を「受忍限度」あるいは「許容限度」という観点から行うとしても、結局は被侵害利益と侵害行為の態様を比較し、被侵害利益が未だその被害者において受忍すべき程度内のものであるか否か、逆に加害者の侵害行為が未だ許容される範囲内にとどまるものであるか否かという判断がなされるべきものである。

本件についてみれば「侵害行為」としての工場排水の排出がいかなる事実関係のもとに行われていたのか、その歴史的、経済的な背景、これに関する行政指導の実体、ならびに「被侵害利益」としてのヘドロ浚渫費を静岡県が負担することになつた経過として最も重要な港建設の経緯、等々第一審以来上告人が主張しているような事実関係(上告理由第三点参照)について、総合的に検討しなければ、上告人の工場排水が違法であるか否かを判断することはできないといわなければならない。

特に本件の場合、被害者に該る静岡県が、もともと上告人を初めとする多数の工場の排水が流入している河川の河口に堀込式港湾として田子の浦港を建設したものであり、従つてこれら工場排水に含まれる製紙カスの堆積が十分予想されていたので、別途岳南排水路整備事業計画を企画実行することによつて工場排水による製紙カスの流入の防止をはかることとし、その完成までの間にあつては、港湾に堆積する製紙カスは毎年の維持浚渫により除去するとの計画がたてられ、これに要する費用に充てるため一般港湾使用料のほか、特別使用料の徴収まで行つて来たこと、岳南排水路整備事業計画の企画・実行にあたつては、上告人を含め本地区に工場を有する企業に費用の一部の負担を含めた指導要請がなされたこと、等については、一般に不法行為の成否を考えるにあたつての「被害者の承諾」とも考え得べき事情があつたのであるから、これらの事実(事実審提出の書証ならびに第一審における証人市川武、同車沢正吉の証言により認めることができる)を無視することは到底許されないものといわなければならない。

原判決は、これらの点に十分なる検討を加えることなく、単なる工場排水及び河川における水質(SS)の数値のみから上告人の工場排水を違法と判断したものであり審理不尽、理由不備の謗りを免れ得ず、又その結果、法令の解釈適用を誤つたものといわなければならない。

二、不法行為成立の要件としての違法性の判断は、被侵害利益と侵害行為の相関々係から総合的になされるべきものであり、この意味から、上告人が第一審以来主張しているような事実関係(上告理由第三点参照)について十分検討すべきことは、前述したとおりであるが、いま、この点を暫く措くとしても、原判決が違法性判断の根拠とした数値は、上告人工場の排水あるいは河川における水質の実体を正しく示すものではなく、又比較対照せられた水質の基準も不適当なものであつて、これをもとにした原判決の結論が全く妥当性にかけるものであることは、以下に述べる通りである。

即ち、原判決が比較するSSの「前記(三)6で認定した数値」が、如何なる数値を示すものであるかは、かならずしも明らかでないが、

(三)6で原判決が示すSSの数値としては、

① 昭和三六年五月から昭和三七年三月にかけて静岡県の行つた調査の結果としての沼川、潤井川等の河川水における数値。

② 昭和三六年五月から昭和三八年一月にかけて静岡県が東京地学協会に依頼して行つた調査の結果として別表3ないし9に示されている沼川、潤井川等の河川水における数値。

③ 富士市が行つた昭和四五年七月から昭和四六年六月までの月別調査の結果として別表10に示されている沼川、潤井川等の河川水における数値。

④ 第一審鑑定人近藤準子が昭和四五年一二月一六日検証の際採取した上告人ら会社の廃水につき行つた鑑定の結果として別表11、12に示されている各工場の排水口における数値。

がある。

しかし、右いずれの数値も上告人らの工場排水が違法であるか否かを判定するために用いることは、不適当なものである。

なぜならば、右のうち①の数値は昭和三六年から昭和三七年にかけて測定されたものであり、又②の数値も昭和三六年から昭和三八年にかけて測定されたものであつて、当時は未だ田子の浦港そのものが建設途上の時期であり、又上告人の工場も右時期以降、パルプ製造を廃止し、大規模な公害防除設備の拡充をはかつていること(原審における昭和五〇年一二月二四日付準備書面及びここで援用する昭和四六年六月二六日付、同年八月二八日付、昭和四八年一二月一五日付、昭和四九年四月二七日付の、各準備書面等参照。これらの事実については、被上告人らも特に争つてはいない)を考えるとき、これらの数値をもとに違法性を判定することが出来ないことは多言を要しないところである。

③の数値は、その測定時期が昭和四五年から四六年にかけてのものであり、昭和四四年度における廃水の違法を問題とするには、不適切であることはいうまでもないが、いまこの点をしばらく措くとしても、原判決は右数値を認定するのに如何なる証拠に基づいたものであろうか。原判決が右事実を認定した証拠として挙げるものは「甲第四号証の一ないし六、甲第五号証の一、二、甲第六号証、甲第一二号証、甲第三八号証、甲第四一号証、甲第四六号証、甲第一二六号証の〇、甲第一二八号証、乙第一号証、乙第二号証及び癸第三号証、原審(第一審)における第一回検証の結果、原審(第一審)における鑑定人近藤準子の鑑定結果」であるが右に引用の証拠中には③の数値を認定すべきものは全くなく、この点原判決は理由不備のそしりをまぬがれ難い。

又④の数値も前記③の数値と同様昭和四四年度における廃水の違法を判断する基準としては時期的に不適切なものであることはいうまでもないが、原判決も認めるとおり、検査当日上告人会社の抄紙機の故障によりパルプ懸濁液の流出があり、検査の対象となつた上告人会社の廃水は、普段の排水の状況を示すものではなかつたものである。(右事情は一回目ばかりでなく二回目に採取されたものも同様であつて、その間の事情について詳しい立証が行われなかつた理由については、上告理由第三点で述べたとおりである)

更に、原判決が右①乃至④の数値と比較して違法性判断の基準とした二種類の数値そのものも、違法性の判断の基準とするには全く不適当なものである。

即ちまず原判決が用いた「(三)7の数値」とは原判決が同項で「河川の水質は、PHは、六ないし八が良好とされ、DOは、六PPM以上でないと自浄作用上の好気性微生物は生育せず、魚が生存するためには最低五PPMが必要であり、BODは、五PPM以下が望ましく、SSは、一〇PPM以下が望ましい。BOD及びCODの数値は、大きいほど溶存酸素が多く消費され、水質汚濁の一因となる。」としている数値を示すものと考えるが、そもそも原判決は、右認定を如何なる証拠に基づき行つたものであろうか。原判決が右事実を認定する証拠として掲げているのは、前記③の数値を認定する証拠として掲げたものと同一であるが、右に引用の証拠によつては前記事実を認定することはできず、この点においてまず原判決は理由に齟齬あるものといわなければならない。又この点を暫く措くとしても、かかる数値は、河川としての理想状態を示すもので上告人会社が排水する以前の河川の水質そのものが既にこの基準を、はるかに超えているのであるから、かかる水質を基準として上告人会社の排水の違法を云々することが許されないことは言うまでもない。

又、原判決は「静岡県水質指導基準」に定められた数値を基準として違法性を判断しているが、右基準もまた、違法性判断の基準とはなり得ないものである。この点につき原判決は「静岡県では……旧公害防止条例(昭和三六年静岡県条例第五二号)第三条による水質基準専門委員会の答申に基づき昭和四三年九月一日静岡県水質指導基準を設置した。……(中略)右水質指導基準によると沼川及び潤井川の流水目標は別表12のとおりであり、紙・パルプ・紙加工品製造業の沼川及び潤井川に対する排水の水質基準は別表13のとおりである」としている。なるほど原判決摘示の証拠中、甲第三八号証(公害行政の手引=本件訴訟提起後の昭和四五年五月作成された)には、静岡県水質指導基準として、原判決別表12・13に記載されている数値が記載されているが、「指導基準」そのものは本来行政指導の目標値を示すものでしかありえず、違法性判断の基準とはなり得ないものであり、しかも右水質指導基準に基づく行政指導が、実際に行われていたならばともかく、静岡県においては右水質指導基準に基づいた行政指導は実際には行われていなかつたのであるから(原判決は右「静岡県水質指導基準」が旧公害防止条例第三条に基づき設定されたと認定している。ところが同条には「知事は審議会の意見を聞いて公害の基準を定め、県公報で公示しなければならない」と規定しているのに、右水質指導基準が実際に県の公報で公示されたことはない)これをもとに違法性を判断することは全くの誤りといわなければならない。岳南地域における工場廃水に関する静岡県の指導については、第一審以来上告人が主張しているとおり、岳南排水路整備事業計画と切り離して論ずることはできず、前記水質指導基準は全く上告人ら企業に示されることもなかつたものである。

右岳南排水路整備事業計画と工場廃水についての静岡県の指導との関係については上告理由第三点に述べたとおりであるが、乙第一号証五八頁以下に示されている各工場の排水の水質及び同五七頁に示されているところの、処理場への流入予定工場排水の水質からも窺えるように、静岡県が岳南排水路による工場排水の処理を予定して各企業に指導していた水質の基準は、右にみた「静岡県水質指導基準」に示されるようなものではなかつたのである。

原判決は、右水質指導基準に基づき行政指導が行われていたとまでは認定していないが(かかる証拠は存在しない)、静岡県の行つて来た行政指導については、上告理由第三点で述べたとおり上告人らより種々主張がなされているのであるから、これらの事情につき十分審理のうえ、静岡県の行つて来た行政指導の実体を明らかにすべきであるのに、そのことなく右「水質指導基準」の数値のみをもとに違法性を判断したのは明らかに審理不尽と言わなければならない。以上のとおり、原判決が上告人の工場排水の排出を違法であるとした判断は、本来判断の対象となし得ない数値を、これまた判断の基準とはなし得ない数値と比較し、行つたものであつて到底是認し得ないものである。

三、右違法性の判断との関係で原判決は明らかに法令の解釈を誤つた点がある。即ち原判決は「本件河川が公共用水域の水質の保全に関する法律に基づき指定水域に指定されたのは、本件ヘドロ浚渫費が支出された後の昭和四五年一〇月一日であり、それ以前は公法上の規制の対象とされていなかつたが、このことは廃水の違法性を否定する理由にならない」と、判示している。しかしながら右判断は、公共用水域の水質の保全に関する法律の解釈を誤つたものと言わなければならない。近代工業の発展の過程の中で工場排水の河川への排出行為そのものは、本来自由な行為として容認されていたものであり、それが工業の発展に伴い、工場排水による水質汚濁問題が発生するに及んで、「工場排水等の規制に関する法律」とともに、本法が制定せられたものである。

従つて、右法律による規制の範囲内における工場排水の排出は、原則として本来自由かつ適法なものと解すべきものである。

このことは、公共用水域の水質の保全に関する法律第一条が「この法律は、公共用水域の水質の保全を図り、あわせて水質の汚濁に関する紛争の解決に資するため、これに必要な基本的事項を定め、もつて産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与することを目的とする」と定めていること、及び同法第三条第二項が「この法律において『水質基準』とは、事業場、鉱山、水洗炭業に係る事業場、公共下水道又は都市下水路から第五条第一項に規定する指定水域に排出される水の汚濁の許容限度をいう。」と定義していることをみれば自ら明らかである。

勿論、かかる法律による規制の範囲内における工場排水の排出であつても、人の生命、身体、財産などに直接害を及ぼす有害物質の排出を伴うような極端な場合でも、違法性が否定されると解すべきではないであろうが、(その意味で、違法性の判断は、被侵害利益と侵害行為との相関々係からなされる)、それはあくまでも例外的な場合であり、原則は、右法律による規制の対象に該らぬかぎり本来適法なものと解すべきものである。

この意味から、静岡県の行つた本件ヘドロの浚渫は、港湾管理者としてなすべき当然の事務というべきであり、これに費用を要したからといつて「損害」を受けたとすることはできないものといわなければならない。

四、結局、原判決は不法行為成立の要件としての「違法性」の判断を誤り、十分なる審理を尽さないまま、不法行為の成立を認定したものであつて、明らかに審理の不尽、理由不備の違法がある。又、その結果、法令の適用を誤つたものであり、右誤りは判決の結論に影響すること明らかであるので、原判決は破棄をまぬがれない。

第五点

一、原判決は、判決に理由を付していないか、あるいはその理由に齟齬があり、破棄されなければならない。

被上告人の上告人に対する損害賠償の請求が認容されるためには、その前提として静岡県知事に違法な「行為」又は違法な「怠る事実」が存しなければならない。原判決は、この点について、静岡県知事が、静岡県の上告人に対し有する不法行為による損害賠償請求権を行使しなかつたことが「怠る事実」であると認定している。

しかし、ここで要求されるのは、違法な(不当では足りない)「怠る事実」であるから、右不法行為による損害賠償請求権の不行使が違法でなければならないはずである。

地方公共団体の執行機関がある行為を怠つていることが違法であるとされるのは、その執行機関において一定の要件事実があるとき一定の行為をなすべきことが一義的に義務づけられている場合に、その要件事実があるにもかかわらず、執行機関においてその義務づけられている行為をしない場合にかぎられるはずである。

二、ところが原判決には、右損害賠償請求権の不行使が違法となる理由を何ら示していない。僅かに原判決は、「被控訴会社らの工場廃水による本件河川の汚染は、後記のように極めて著しいので、右請求権の不行使は違法」である、と述べているのみである。しかし、右「汚染が著しい」とする点はあるいは、不法行為成立の要件としての違法性の判断の理由となることはあつても、静岡県知事が損害賠償請求権を行使しないことが違法であるとする理由とはなり得ないものである。

結局、原判決は静岡県知事が上告人に損害賠償請求しないことが違法であると認定するについて理由を付さないか、あるいは示されている理由からは原判決の結論には達し得ず、その理由には齟齬があるというべきである。

第六点

一、原判決には、判決に理由を附さない違法、又はその理由に齟齬があり、破棄されなければならない。

被上告人らは、第一審は勿論、原審においても、静岡県の上告人に対して有する不法行為による損害賠償請求権を県知事が行使しなかつた点をとらえ、これを「違法な怠る事実」と主張したことはなかつた。

しかるに原判決は、その理由四において「被控訴会社四社に対する損害賠償請求」と題して

「被控訴会社らの工場廃水による本件河川の汚染は、後記のように極めて著しいので、右請求権の不行使は違法というべく、控訴人ら(被上告人ら)が、静岡県に代位して、右損害賠償を求める本訴は、適法である。」

と判示し、上告人に損害賠償を命じる判断を示した。

右原判決の判示に従う限り、原判決は、被上告人らが第一審、原審を通じて、静岡県知事が前記損害賠償請求権を行使しなかつたことを「違法に怠る事実」と主張していたと判断したと解するほかない。

二、ところが原判決は、一方で、被控訴人竹山祐太郎に対する被上告人らの損害賠償請求をすべて棄却している。被上告人らの被控訴人竹山祐太郎に対する請求は、地方自治法第二四二条ノ二第一項第四号に所謂「普通地方公共団体に代位して行う当該職員に対する損害賠償の請求」である。若し、一に述べたとおり、静岡県知事たる被控訴人竹山祐太郎が、静岡県の上告人に対して有する不法行為による損害賠償請求権の行使を違法に怠つていると認定したのであれば、右不行使によつて静岡県の蒙つた損害について、被上告人らの被控訴人竹山祐太郎に対する請求を認容しなければならないはずである。それにもかかわらず原判決が上告人らに対する関係では、静岡県知事の損害賠償請求権不行使を違法と認定しながら、他方で被控訴人竹山祐太郎に対する請求をすべて棄却したのは明らかに矛盾した結論と言わなければならない。

三、あるいは原判決は、被上告人らが「違法な怠る事実」として不法行為による損害賠償請求権の不行使を主張したのは、上告人に対する関係だけであつて、被控訴人竹山祐太郎に対する関係では、右主張はなされなかつたと判断したと解すべきであるとの論なしとしない。

しかしながら、第一審及び原審におけるこの点に関する被上告人らの主張は、上告理由第二点で詳述したとおりであり、仮りに第一審又は原審における被上告人の主張中に、不法行為による損害賠償請求権の不行使を県知事の「違法な怠る事実」とする主張を認め得るとしても、それが上告人に対する関係だけでなされており、被控訴人竹山祐太郎に対する関係では主張されていないとするほど明確な形での主張は全く見られない。

原判決は、被控訴人竹山祐太郎に対する請求を棄却するにつき、右の点につき何らふれるところなく、又同人に対する請求をすべて棄却しながら、一方で上告人に対する損害賠償の請求を認容したのは明らかに判決に理由を附さず又はその理由に齟齬あるものといわなければならない。

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